秋の奈良探訪〜その2.唐招提寺と平城宮跡。
11月4、5日の京都奈良旅行、なかなか更新できないまま11月も終わりに近づいてる〜
まあ体調などあれこれ事情があって、今頃ですが。
薬師寺からほぼまっすぐな一本道を歩くと、唐招提寺があります。
多くの苦難の末、来日をはたされた鑑真大和上は、東大寺で5年を過ごした後、新田部親王の旧宅地(現在の奈良市五条町)を下賜されて、天平宝字3年(759)に戒律を学ぶ人たちのための修行の道場を開きました。
「唐律招提」と名付けられ鑑真和上の私寺として始まった当初は、講堂や新田部親王の旧宅を改造した経蔵、宝蔵などがあるだけでした。
金堂は8世紀後半、鑑真和上の弟子の一人であった如宝の尽力により、完成したといわれます。
現在では、奈良時代建立の金堂、講堂が天平の息吹を伝える、貴重な伽藍となっています。(唐招提寺HPより)
国宝、金堂(奈良時代8世紀後半)
内陣には本尊・盧舎那仏坐像、東方に薬師如来立像、西方に十一面観音立像、脇侍に梵天・帝釈天、須弥壇四隅に四天王立像の九尊が配されています。いずれも国宝の重々しい仏像。
特に千手十一面観音って、いつもふむううう〜と見入ってしまうのだけど、千手ですから、ここのお像も、これでもかこれでもかと手がニョキニョキ伸びていて、ちょっと怖いような…
至るところに救われたい人々がいるので、手が千本も必要になるのでしょう。そのまま具象化するところがすごい。
左奥が講堂、真ん中が鼓楼、左が礼堂。
経蔵(右)と宝蔵。
奈良時代のもので、経蔵は唐招提寺が創建されるより前にあった新田部親王邸の米倉を改造したものと言われ、日本最古の校倉だそうです。
芭蕉の句碑。
開山堂。
わたしの朧げな記憶だと、鑑真和尚像は、金堂の三尊像の横あたりに安置されていたように思うのですが(レプリカだったかどうか覚えていない)、現在は御影堂に安置され、年間数日しか開扉しないので、「お身代わり像」が平成25年に作られて開山堂に安置されています。
唐招提寺は鑑真和上が中国から5度の失敗を重ね、失明しながらも渡航、来日して修験道場として創建されたものなので、今でも学びと修行の場らしく凛とした雰囲気に包まれています。
薬師寺が草創期の国家的プロジェクト、という華やかな雰囲気を持っているのとはまた別のお寺らしさ。
薬師寺が創建当時の朱塗りの鮮やかな色合いなのにくらべ、こちらは年月のままに退色して元の木の味わいが出ていることもあるでしょう。
境内は紅葉に彩られ、わたしが勝手に思う奈良っぽい景色が見られます。
こういう感じ、奈良っぽい?
改修中の御影堂…だったと思う←うろ覚え
境内の…これは椿みたいですね。
途中、尼ヶ辻駅近くで車窓から垂仁天皇陵が見えた…どこのへん古墳も多いので、どれかに行きたかったけど、体力的に難しいので断念。でもちょっと見えてよかった…
これがTVの旅番組では見たけど、なかなか壮観。
な〜んもないススキ野原(アキノキリンソウも満開で鼻グズグズ)のはるか向こうに近鉄線が走り、なんか門が見える。
もうちょっと近づいて電車と一緒に撮ったら、てっちゃん向きの景色かな?
復元された朱雀門です。
公園として整備されているそうですが、大和西大寺駅から入ると、地元少年がサッカーをしてるくらいで(土埃の舞い上がるグランドというより空き地)、ただただだだっ広いばかり。
南門。
大極殿。
朱雀門、南門、大極殿まですごい距離があって、当時の宮城いかに大きかったか想像できます。
まだ整備中ですが、バカッぴろいので、園内(公園として整備されている)電気自動車が走るようです。
現在第一次工事で、3次まであり、完成は確か再来年だったかしら←とってもいい加減。
第2次工事の東院庭園も見たらよかったのですが、この日はここまで…
近くの家並み。
右の方に大極殿があります。
これで奈良散策はおしまい。
平城宮跡と薬師寺を歩いて、聖武天皇や当時の高僧の目指した国家の始まりが見えて、古いのに新しさが感じられました。
それがうまくいったかどうかはよくわからないけど、こういう遺産が残ったのは、守った人々がいたからでしょうね。
山に囲まれた京都に比べ、白鳳時代の都は外に開かれ、外の文化を吸収しようとする意欲が伝わるように思います。
どちらも好きですが、京都とはまた違った、スケールの大きい古都を見ました。