山口旅行~その3.山口県政資料館と瑠璃光寺とザビエル記念聖堂
4月23日。
ジェフアウェイ山口戦の前、時間があったので、近場でなにか観光・・・と行ったのが、山口県庁周辺。
そこからバス一本でスタジアムへ行けるので、サポには便利な場所にあります。
試合はアレだったので、この県庁周辺の散歩、実は今回の旅で最高の収穫でした。
特に瑠璃光寺。
ここは、一見の価値があります。
宿でしっかり朝風呂を楽しんでからチェックアウト、バスで県庁前へ。
瑠璃光寺の最寄り、県庁前のバス停を降りると。
もうそこが木々に囲まれた美しい場所。
なんか立派な洋館が見える・・・ってことで、まずそちらに行くと。
山口県政資料館。
旧本庁舎。
大正5年完成、国の重文に指定されています。
詳しくは↓
見事な建築ですね、地方にはこういう建物が意外と残っているということが、J2の旅で知りました。
それにしても、この山口県庁周辺は特に立派。
時間がなくて内部まで見られず、残念。
中をのぞくふうちゃんP4.(蘇我夫撮影)
隣接したところに、旧県会議事堂があります。
(蘇我夫撮影)
後期ルネッサンス様式を基調としているそうです。
周囲もとてもきれい。
土曜日なのにほとんど人がいなくて、なんだかもったいない。
予備知識なしのグダグダ旅行ですが、こういうすばらしい建物に出会うこともあります。
得した気分。
瑠璃光寺に向かう途中にある洞春寺山門。
1400年頃の創建だそうです。
ここから緩い勾配の坂道を歩いて、瑠璃光寺に到着。
すると。
したたるような緑に包まれたすばらしい五重塔が。
この美しい景色だけで、山口に来たかいがあった・・・と、特に試合後思う。
(以上3枚蘇我夫撮影)
瑠璃光寺は、
大内氏前期全盛の頃、25代大内義弘は現在の香山公園に、石屏子介禅師を迎え香積寺を建立しました。義弘は応永6年(1399年)足利義満と泉州で戦い戦死。26代弟・盛見は兄の菩提を弔うため、香積寺に五重塔を造営中、九州の少貳勢と戦って戦死。五重塔はその後、嘉吉2年(1442年)頃落慶しました。
それからしばらくの時を経た関ヶ原の合戦の後、毛利輝元が萩入りし、香積寺を萩に引寺。跡地に仁保から瑠璃光寺を移築しました。これが今日の姿です。
それからしばらくの時を経た関ヶ原の合戦の後、毛利輝元が萩入りし、香積寺を萩に引寺。跡地に仁保から瑠璃光寺を移築しました。これが今日の姿です。
全国に現存する五重塔のうちで10番目に古く、美しさは日本三名塔の一つに数えられ、室町中期における最も秀でた建造物と評されています。ちなみに、日本三名塔の他2基は、奈良県の法隆寺と京都府の醍醐寺にある五重塔です。また、檜皮葺屋根造りのものは瑠璃光寺の他に、奈良県の室生寺と長谷寺、そして広島県の厳島神社にもあります。
山口市観光情報サイトからお借りしました。
寡聞にしてこんなに美しい五重塔が山口にあるとは知りませんでした~
山口、大内氏恐るべし。レノファ恐るべし。
本堂。
(蘇我夫~)
と、いうのも泥縄式に今調べてわかった・・・
瑠璃光寺だけでもっとゆっくりしたいくらい良いお寺でしたが、試合もあるので、次に向かう。
ヤマガラがしきりにさえずる山道を通って、山口ザビエル記念聖堂へ。
途中、山口県埋蔵資料館を見つけたので、喜んで入ろうとしたら・・・
休館だった・・・平日しかあいてないなんて・・・
気を取り直して。
小高い山道から見たザビエル記念聖堂。
(2枚蘇我夫)
尖塔の飾り。
1605年に殉教した日本人信徒ダミアンの記念碑。
こちらはザビエルさん.確か大分でもお目にかかりましたね。
聖堂の中も見せて頂きましたが、撮影はできません。
ステンドグラスのデザインも建物と同じくモダンで、気持ちのよい明るい聖堂でした。
維新スタジアムをめざし、これで山口旅行はおしまい。