モローとルオー 聖なるものの継承と変容

パナソニック汐留ミュージアムで開催されている「モローとルオー」展に行きました。
汐留の洒落たビル群にある「パナソニック東京汐留ビル」4階が美術館になっていて、ルオーの作品のほとんどはこの美術館の所有するものです。
「新橋」というとサラリーマンの街というイメージですが、「汐留」というと今や(昔は武家屋敷、貨物駅、それに浜離宮。わたしの祖母は『お浜離宮』と呼んでいた)おシャレな東京新名所。
あまりそういう場所に縁がないワタクシ、このパナソニックビルも初めて。
「なんだ、パナか。J2じゃん」と、自分たちも一昨年はそうだったことなど棚に上げて、余計なことを言いながら、まずは1階のパナソニックショールームに入る。
と、我が家を売らなきゃ買えそうもないゴージャスなシステムキッチンのショールームでした。
そそくさと通過して、4階の美術館へ。
 
 
イメージ 1
 
詳しくはこちらを↓
 
学生の頃からモローもルオーも好きで、展覧会があると見に行ったものです。
高校生の頃は、ギュスターヴ・モローの「顕現」などの装飾的で妖しく美しい絵が大好きでした。
大人になってからまた大きなモロー展があって見に行ったら、今度は装飾的すぎて硬直しているようで好きではない、と好みが変化。
このトシになってもたいしたことはありませんが、若い頃のものの見方は浅かった~と思います。
今見ると、やっぱりモローは面白いと感じました。
なにか尋常ならざるモローの精神性が伝わります。
 
モローの弟子のルオーは、やはり大学生の頃から好きで、ずっと変わらず好きな画家です。
 
この作品展では教師のモローと弟子のルオーとの往復書簡も展示されていますが、これが深い師弟愛が伝わってくるもので、モローの巧まざるユーモアも感じられて面白く見ました。
モローが病のうちにあって、死が近かったと思うと悲痛なものでもあります。
 
なんとなく素直な感じのルオー(そのせいかとても長生き。87歳で亡くなり、その最後の絵も展示されているけど、不思議な絵です)に対して、教師のモローの方が変わり者。
教師をやめてからほとんどをうちに籠もって、売るつもりのない絵を何年もかけて、何度も重ねて描いたり塗ったり。
色の習作らしきものも、習作ではあってもなんだか象徴表現主義のような絵になっています。
その表現することへの熱情というのか執着というのか、あまり他に例を見ない作家です。
彼がこもっていた家がそのまま現在のギュスターヴ・モロー美術館になているそうで、現在修理中なので、いくつかの作品が海外出張しているそうです。
今回の目玉は「ユピテルとセメレ」でしょうか。「ヘラクレスとレルネのヒュドラ」も強烈な絵です。ヒュドラの鱗とか、顔とか描き込み方がブキミ。
ルオーはわたしの好きな「聖顔」が来ています。
ルオーの「我らがジャンヌ」とモローの「パルクと死の天使」が並べて展示されていて、興味深く比べて見ることができます。それぞれの晩年に近い作品。モローの方が不安な感じ、ルオーは充足しているように見えます。
 
あまり大きな作品展ではないので、ちょっと寄って見る感覚で行けると思います。
でも人によっては気味が悪いと思う作品もあるかも。
わたしは楽しめました。