ホクサイにめげてホドラーへ。

日経の何かで、北斎展のタダ券が当たりました。
最近、蘇我夫はくじ運がいいのです。そのうちtotoでも大当たりするかも。いつも浦○を負けにしてるから、当たると大きい。
 
それはともかく、せっかくだから行こうか。
と、のん気に上野の森美術館へ。
 
すると!
美術館の前はものすごい長蛇の列が!
うちもそうだけど、オジオバばかり延々と列んでいるでなないの~
これは1時間待ちだね、入れても北斎だから大きな絵ではないだろうから、人の頭を見るようなもんだね。
浮世絵に興味がすごくあるわけじゃないしね。
 
と、即座に撤退。
うちはスタジアムの待機列しか列ばないんだよッ!
 
でもこのまま帰るのもつまらないので、国立西洋美術館の「「ホドラー展」へ方向転換。
北斎が亡くなった数年後にスイス・ベルンで生まれた人です。
 
こちらは空いてる。
 
詳しくは
 
 
 
貧しい家庭で両親兄弟すべて早くに亡くしているという不幸な生い立ち、その影響か前半期の作品には「死」や「憂鬱」といったイメージがつきまとう。
20世紀に入って「生」の絵画に目覚め、、舞踏する人の躍動感や、リズム感を表現するようになり、「パラレリズム」(平行主義)という独自の理論を提唱します。
 
 
イメージ 1
 
「感情Ⅲ」という作品。
少しずつ違うポーズの女性たちがリズムを作っています。
 
イメージ 2
「恍惚とした女」
舞踏という動きの一瞬を絵画にとどめています。
こういう女性が好みだったらしい。
画家のモデルをしていた愛人もこういう痩せた人で、癌によって亡くなった彼女の死姿を描いています。
舞踏家を描いているせいか、ピナ・バウシュのような贅肉どころか脂肪がまったくないような女性の姿が多く描かれています。いわゆる女性美を描くというより、女性像は躍動するリズムを表現する手段だったのかも。
 
 
イメージ 3
最晩年の作品。
自然界にも「パラレリズム」を適用したので、わたしにはなんだか納得のいかない、ちょっと中途半端に見える風景画もあるのですが、好きな作品もありました。
湖畔に白鳥がリズムをもって列んでいる姿、これは好きです。
 
最後に、スイスの地図とホドラーの足跡を見て、元「桜8番」は、海に近い街にいるのだな~とお勉強になりました。
 
 
まだ時間があったので、常設展も久しぶりに見て来ました。
いい絵があること、再認識。
08年にここで展覧会のあったハンマースホイというデンマークの画家の絵も所蔵されています。
適当に好きな絵の前に立っていると、美術の先生に引率された男子高校生がゾロゾロと。
絵でも何でも好きでもないものを見せられるってのは拷問でしょう・・・
ルノワールの初期作品、ハーレム風の装いをした豊満な女性像の前で、高校生、
「これ、○゛ブじゃねェの?○゛ブだよな。これキレイなのか?」とヒソヒソ。
○゛ブっちゃ○゛ブだわね。
でも、何がキレイかよくわかんない、きみたち、まだ子どもだってことですな。
 
と、それなりに楽しく見ました。
 
結局、北斎展のタダ券はまだ持ってるのです~
あんなに列ぶのはヤダ。
朝一で行くか?それともタダ券とは古紙回収の日にさよならしちゃうのか?