「ダイヤモンドサッカーの時代」

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忙しいのです。疲労困憊・・・体調もいまいちですが、寝込む暇はないのです。
でも本は電車の中、おじじの診察を待つ間、すきを見ては読めるので、これを読んでいます。
最後に詳細な全放送記録があるので、記事としては半分以上読んだところ・・・
全部読まないで感想を書くのは不本意ですが、今日は時間があるので、ここまでの感想を。

「ダイヤモンドサッカー」というサッカーのTV番組が東京12チャンネルで放送されていたことは、多分知られていると思います。
しかしこれをリアルタイムで見ていた人となると・・・1968年~1988年放送。
生まれてなかった~~とか言うサッカーファンも多いでしょう(チェッ!)
そうわたしも生まれて・・・いましたとも。

わたしの父はスポーツ好きで、放送が始まったばかりの「ダイヤモンドサッカー」を見ていました。日本ではサッカーはまず大学から定着していったので、父も最初は大学で見たのだろうと思います。アナウンサーの金子さんは父の後輩に当たります。
「ダイヤモンドサッカー」、「サッカーを愛する皆さん。ご機嫌いかがでしょうか」という金子アナの上品なあいさつから始まり、解説の岡野俊一郎との教養豊かな会話が魅力でした。
当時わたしはサッカーに特別興味があったわけでもないので、二人の会話を聞いて「おじじの茶飲み話みたい」と、思ったものです。
当時の日本サッカーは東京、メキシコオリンピックと盛んだったころ。父もおそらく日本代表への興味で見ていたのだろうと思います。
第1回放送のスパーズ・マンU始めイングランドリーグの試合を日本で初放送したということですが、わたしにはその記憶はなし・・・
夫は、自分で観ていて、すっかりスパーズファンになったそうな・・・やっぱり変わり者だわ。当時マンUにはあのジョージ・ベストがいたのに、スパーズファンになるとは。

77年、古河から奥寺がブンデスリーガ、1FCケルンへ移籍。
当時の奥寺はステキでした。あのスピード、キレのよさ。
父は代表と奥寺への興味でずっと「ダイヤモンドサッカー」を見ていたようです。今のマスコミと同じですな・・・つまり、今もマスコミは昭和初期生まれの感覚なのでしょうか?

スパーズファンになったように、夫も初回から熱心に「ダイヤモンドサッカー」を見ていましたが、結婚した頃は、日本のサッカーの氷河期でした。
オリンピック1次予選も全然勝てない・・・
日本リーグも夫が「西が丘で寝転んで試合見ていた」というくらいガラガラ・・・。
それでも彼は日本リーグも好きでしたが、わたしはもうすっかり退屈でヘタな日本のサッカーなんか興味が無く(蹴鞠と呼んでいた)、「ダイヤモンドサッカー」で紹介される海外のサッカーばかり見ていました。
ばかり、と言ってもサッカー番組が他にない時代、「三菱ダイヤモンドサッカー」だけが世界に繋がる窓口。
試合を前半、後半2週間に分けて放送するという、今では考えられない悠長さ。
それがそんなにヘンだとも思わず、楽しみにしていました。

「ダイヤモンドサッカー」で出会った衝撃は、クライフでしょう。
ドイツW杯のオランダチームにはすっかり魅了されました・・・

って、本の感想ではありませんねぇ・・・ただの思い出話だわ。

金子・岡野コンビは、語り口も内容も端正で、教養深くて、わたしはサッカーの放送とはこういうものだと思っていました。
Jリーグ開幕あたりからでたらめな放送になって、プロサッカーリーグが設立されたのは嬉しいけど、放送などいろいろなところに違和感を感じたのも事実です。

ただ、サッカーを金子・岡野コンビが伝える教養としてとらえるのは、これも偏った見方になってしまいます。
しかし、彼らとこの番組が日本サッカーに寄与したものは大きいでしょう。
彼らの語るように、今のマスコミの多くは勉強不足だし、わたしの父のように代表と一部のスター選手に偏った報道、あるいは勝手に物語を作ってしまう安易さが目立ちます。

PART1の大住良之による「ダイヤモンドサッカーとその時代」は、何もなかったところに初めてイングランドプロフットボールが放送されたときの感動を伝えて、印象的です。
そうした初心からは遠くなってしまった今、それでもサッカーをプレーすることができる、見ることが出来る感動は大切にしたいと思います。