このトシになるまでこの作品を見たことがなかったとは、全くもってモッタイナイことをしました。
溝口の作品は1936年の「浪華悲歌」「祇園の姉妹」を見ていますが、これは未見でした。
そして映画好きなら必見、と今更ながら思います。
残菊物語
溝口健二監督
1939年の制作
「浪華女」「芸道一代男」と合わせて「芸道三部作」と言われているそうですが、「残菊物語」以外は失われてしまいました。
溝口のフィルムは失われたものが多いのが残念です。
日本に映画を文化として保存するという発想がなかったことが、多くのフィルムを失わせ、また、損傷のひどい状態で放置される原因になりました。
この「残菊物語」は修復版で、よくぞここまで何とかしてくれた、と感心します。
以下は松竹DVD倶楽部のHPにある解説。


おかげで音声はほとんど聞き取れないところはありませんし、画面もノイズが入る事はありますが、この映画の美しさを十分伝えています。
明治時代初期の東京。人気が出て天狗になっていた二代目・尾上菊之助(花柳章太郎)は、義弟の若い乳母お徳(森赫子)に自分の芸を批判され、そこで自身の名声が義父である五代目・尾上菊五郎(河原崎権十郎)の威光によるだけのものと気づかされる。やがて菊之助とお徳は心通わせるようになっていくが、周囲は身分違いの恋を危惧してお徳を追い出してしまう。絶望した菊之助は家を出て、大阪に出て芸を磨こうとするが……。
と、ストーリーはまあ芸物によくある話で、大阪でうだつのあがらない役者を続けている菊之助と、再会したお徳はお定まりのように夫婦になります。
お徳はひたすら献身的に菊之助の芸が成長するように努めるのですが…
大阪で菊之助を庇護していた尾上多見次郎(花柳喜章)が亡くなると、たちまち露頭に迷い、旅芸人の一座に入ります。
そこでも身を粉にして働き、夫を支えるお徳ですが、菊之助はすさんでいくばかり…
しかし、お徳の目には、苦労が菊之助の芸に奥行きを与えていると見える。
菊之助に邪険にされようがひどい宿屋暮らしになろうが、お徳は菊之助を再び表舞台に立たせようとする、そこへ菊之助の友達中村福助(高田浩吉、とてもいいやつ)のいる一座の名古屋公演があることを知り、お徳はありったけのものを売って金策し、夫を身綺麗にして、送り出す。条件としてお徳と分かれるというのも、彼女は初めからわかっていた様子。福助の取りなしで菊之助は出演でき、その精進ぶりに、これなら東京のおとっつぁんもお許しくださるだろうと、一座と共に帰京。
芸に磨きのかかった菊之助はようやく本物の歌舞伎役者として再スタートする。
一方6年の流浪生活に無理がたたって、お徳は…
と、わかっちゃいるお話なのに夢中で見て、最後はつい泣いてしまいました。
お徳の森赫子は、当時無名の女優で、本来は松竹のスター女優北見礼子が務めるはずでした。
が、「赤ん坊の抱き方が悪い!」と溝口は北見礼子を3日で下ろして、森赫子に替えたのだそうです。
さすが溝口、怖いよう。
森赫子は声がわりと高くて通るので、当時はキンキン声とか言われたようですが、今はそのおかげで81年後に見ても、口跡がよく聞こえます。
菊之助役の花柳章太郎は当時の売れっ子で、演技はおっとりとして甘ったれで、品の良いお坊ちゃんの雰囲気があります。
しかし、この作品の魅力はドラマ以上に、映像の力だろうと思います。
溝口といえば、の、ワンカットワンシーン、そこに俳優とカメラに収まる全てのものと、観客との緊張関係が作られ、作家とわたしたちがいわば格闘することになります。
そして映し出された映像の美しさ。
夜の尾上家の台所、華やかな歌舞伎の舞台と、暗い舞台裏、旅芸人の寝転ぶ地方の小屋、大阪の町屋…お徳が身を寄せる菊の咲く田舎家…
「船乗り込み」の場面の迫力はすごい。
すっかり貫禄と風情の備わった役者になった菊之助が、船の上から道頓堀の沿道の人々に挨拶をします。
お徳が寝ている小さな部屋にも、船乗り込みのお囃子が聞こえてくる…
1939年、こんなすごい映画が撮れたのか〜
この「残菊物語」でもクローズアップはなく、ごまかしのきかないセットが完璧に作られていて、それも見どころです。
初めの方の尾上家の台所で菊ちゃんとお徳がスイカを食べるシーンも、大変好きです。
と、キリがないからもうおしまい。