こんな時は家で映画でも〜「新ドイツ零年」

冒頭から美しい画面に引き込まれていく……ゴダールの作品です。

 

新ドイツ零年

ジャン=リュック・ゴダール

1991年制作

 

ベルリンの壁崩壊後のドイツを舞台に、フィクションとドキュメンタリーを交えて西欧史と映画史を交錯させ、国家の「孤独」を浮かび上がらせた一編。当初、TVの「孤独:ある状態とその変容」シリーズ用に製作されたが(本国では91年11月放映)、劇場公開を望むジャン・リュック・ゴダール監督により、ヴェネツィア映画祭の出品規定(六十分以上)に合わせて四分を加え、計六二分として九一年の同映画祭に出品。「イタリア上院議員賞」と「金メダル」を受賞した。劇場公開は、日本が世界初となる。「アレクサンドル・ネフスキー」「青い青い海」「ドイツ零年」などの映画作品が、ビデオ画像により随時挿入=引用されている。監督・脚本は「ヌーヴェルヴァーグ」のジャン・リュック・ゴダール。撮影は「愛されすぎて」のクリストフ・ポロックアンドレアス・エルバン、ステファン・ベンダ。美術監修は監督としても知られるロマン・グーピルとハンス・ジッヒラー(助演も)。録音はピエール・アラン・ベスとフランソワ・ミュジー、衣装はアレクサンドラ・ピッツとユリア・グリープが担当。音楽はモーツァルト、バッハ、イーゴリ・ストラヴィンスキーー、ベートーヴェンディミトリ・ショスタコヴィッチなどの曲を使用。主演は九三年二月二五日に他界したエディ・コンスタンティーヌで、六五年のゴダール作品「アルファヴィル」でも演じた当たり役、レミー・コーションを演じている。共演は、「さすらい(1975)」などの俳優としても知られる翻訳家・劇作家のハンス・ジッヒラーほか。ナレーションはテレビ演出家で、ゴダールの「女と男のいる舗道」などにも出演しているアンドレ・ラバルト

映画.comの解説、下は映画.comにあるあらすじ。

 

 

 

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 ベルリンの壁が崩壊した翌年の九〇年。元陸軍情報部に属し、現在はラジオ局でヘーゲル哲学史を翻訳しているゼルテン伯爵(ハンス・ジッヒラー)は、東ドイツの小さな町に身を隠していたレミー・コーション(エディ・コンスタンティーヌ)を訪ねる。レミーは戦時中、ドイツで諜報活動をしていたがそのまま軍当局からも忘れ去られ、行方不明になっていた。数十年ぶりに彼を発見したゼルテンは、西に帰るように勧める。ワイマール郊外の収容所跡地の屋台では、所内の遺物が叩き売られている。レミーシャルロッテという女と知り合い、文豪ゲーテゆかりの地であるワイマール周辺を歩き回る。見渡すかぎり削り取られた広大な土地に、巨大な工事用削岩機が動いている。追想にひたるレミーに通りがかったドン・キホーテサンチョ・パンサが西はどっちかと訪ね、工事用機械をドラゴンと思い込んで突進する。港町のカフェでレミーは、ソ連の国家保安部が作り上げたニセの情報をゲシュタポに流していたことを回想する。ベルリンの壁がまだ存在すると思ったレミーはゼルテンに連絡する。路には国家権力に殺された若者たちが倒れている…

 

 

と、ストーリーを読んだところで、わけわからんですね。

 

ざっとそんな流れではありますが、どういうお話かということではなく、何がどう描かれ、何がどう引用されていて、どう語られているかだろうと思います。

するととても書ききれない様々な引用があり、とても纏められないのですが。

しかしDVDには結構な冊子が付いていて、ゴダールのルモンド紙によるインタビューが載っています。

これがとても面白い。

 

それによると、

 

「この作品はTV局の依頼で「孤独、孤独な状態」を題材としたシリーズ物として依頼された。

ゴダールは恋愛の孤独や麻薬中毒の孤独についての映画は作りたいと思わず、「ある国、ある国家の孤独、ある集団の孤独」に関心を持血、東ドイツはどうかと考えていたら壁が壊され、突然ドイツに関する映画となり、東から出発して西にたどり着いた。

 

TV局の依頼だったが、これはテレビ用映画ではない。35ミリの「映画館で封切られる映画」である。

ヴェネツィア映画祭に出品したのは、この映画に一つの存在を与えるため、その後テレビ放映されても私には興味がないし、それは存在することもない。

テレビで放映しても何もならない。

映画はテレビで放映できない。テレビは映画と違うことをするのに向いている。」

 

 

と、ここまで読んで、って、ほんの冒頭なのですが、

あちゃー、ゴダールさん、申し訳ない、わたしはこれをテレビ(DVD)で見たのですよ…

 

確かにわたしも映画は映画館で見なければ、本当には見たことにならない、と思っています。

この駄文集にも「〜こんな時には家で映画でも見ましょう〜」と、タイトルをつけているのは、今はテレビでしか見る術がないので、家で映画を見ましょう、という意味で。

テレビで見ても一向かまわない映画もありますが、それはまあゴダールの眼中にはないだろうと思われます。

 

さて、ゴダールはなぜこれをドイツで撮ったか。

 

「私はドイツ人によって人格形成され、自らドイツによって人核形成してきた。

アルベール・べガンの1937年「ロマン的魂と夢」は常に枕頭の書だった、まさにロマン主義こそ私の原点だった。すなわちゲーテの「ウィルヘルム・マイスター」。ある種の負い目を感じていたが、ドイツに行ったことはなかった。」

 

それから彼は歴史的関連について語り、収容所に関するありふれた側面についての映画が撮りたかった(例えがすごいのだけど略)、ホーネッカーの裁きと服従して発砲した兵士について語る。

ドイツに行くことになって国について考えると、ヨーロッパではその歴史の中心にドイツがある…

 

と、インタビューではここから実際の映画について語られ始めるのです。

 

 

例によって、なかなか映画のことまでいかない。

 

いうまでもなく画面には映像と、時々文字と、そして登場人物がフランス語、ドイツ語で語流言葉と、ナレーションとして流れる言葉があり、わたしはどの言語もわからないから、日本語字幕を頼りに見ます。

一時期のゴダールほどには言葉の大氾濫ということはないので、苦ではありません。

ただ、数知れず引用される映画の画面や、小説や詩などの言葉は、とても追いきれません。

あとでDVD付録の冊子を読んで、ほおおお〜と感心するばかり(無教養)。

 

それはそれとして。

 

映像の素晴らしさは変わらず、(行ったことないからよく知らないけど)北方の陰鬱な光と、冷たさを感じる景色、黒みがかった樹々に、いつものように思いがけず(←わたしには)入れられた過去の映画、意外な情景(ドンキホーテが出てきたり、倒れた銅像、倒れた人)…

それらをボ〜ッと見ていても、この映画の良さは感じられるでしょう。

あまり根を詰めて見ると、寝落ちするかもよ。

 

 

インタビューでも語られているバーベルスベルクで撮られたDEFAの記録映画が引用されていますが、そこは半ば廃墟と化していて印象深いものです。

ゴダールはドイツ映画はアメリカ映画に対抗していた唯一の映画だと言います。

「戦後、崩壊しましたが、ドイツ映画は、ヨーロッパ的反米的であろうとしていました。また、ドイツ映画は独自の存在となる諸手段をほぼ手中にしていた唯一の映画です。」

その後、歴史の孤独について語るところも興味深いのだけど略、「映画は間において語る」のに向いている、「人々はそれを見て、それについて語る。生き生きとした一つの歴史を持つには、そこから、複数の歴史を語らなければならない。アメリカ人は、それを排除したということがハリウッドの作ったものを見ればわかります。」

 

わたしはハリウッド映画も見るけれど、このゴダールの意見には深く肯きます。

 

そうして、東に取り残された孤独なスパイが東を歩きながら見出していく、その画面から伝わる「女性名詞の歴史」が孤独であり、また、資本主義に飲み込まれていくヨーロッパ世界が孤独なのだろうな、と感じました。

 

レミー・コーションの最後のセリフが引っかかっているのですが…

西側に到着して、彼が吐き捨てたのは、資本主義に対しての言葉だったのでしょうか。