府中市美術館「映えるNIPPON 江戸〜昭和 名所を描く」

雨に降られても濡れないところで、どっか行けないかな〜

新型コロナのこともあるから、なるべく密にならない、密な交通機関に乗らないで行けるところ…と、考え…そんなら市役所の放送塔から聞こえてくる「不要不急の外出は避けるようにして下さい、市民一人一人の行動が感染拡大を防ぐことに云々」の通り、うちにいたらいいじゃん、と言われそうですが。

でもそれじゃつまんない〜ということで、本当は恵比寿の都立写真美術館へ行きたかったけど、近場の府中の森にある府中市美術館へ行きました。

 

この府中市美術館、鎌田亨さんという学芸係長でしょうか、優秀な方のようで、毎回面白い企画展があります。

今回は

「映えるNIPPON 江戸〜昭和 名所を描く」

 

というもの。

やはり「ばえる」と読むんでしょうね〜

 

 

 

東府中駅から府中の森を歩いていくとそこそこ散歩になるのですが、この日はバスにちょうど乗れたので、美術館入り口までバスで。

 

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その前に昼ご飯。

 

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いつもの森乃珈琲屋でランチ。

魯肉飯と言うことだけど、上品な豚丼って感じ。

 

腹ごしらえの後、美術館へ。

冒頭の「ごあいさつ」の趣旨は、

 

日本各地の「名所風景」を捉えた幕末から昭和にかけての絵画や版画、印刷物を紹介する。江戸から明治という、激動の時代にもたらされた新しい技法、新しい視点によって東京の姿を捉えた作品。広く旅行を楽しむことができるようになった時代に新たに見出された観光地を描き伝えた、多様なイメージ。広く人々に親しまれてきた「名所風景」を描き伝えるにあたり、画家たちはさまざまなアプローチをとってた。その作品いずれもが、誰しもの心に浮かぶ、美しく映える日本の風景として描出されたものになっている。

 

というものです。

 

誰しもの心に浮かぶといえば、有名な観光地へ行って、その景色や建物を見ると

「テレビとおんなじだ〜」なんてことを言い、一応スマホでそのステレオタイプな写真を撮る、ってことをやりますわね。

その観光名所の典型的な「映える風景」、伊勢参りなどで盛んになった江戸末の旅心を誘う版画から、展示は始まります。

ただ、わたしはその風景の典型化は和歌の「歌枕」から始まっているような気がしますし、すでに絵巻などにその様も映されているようにぼんやりと思います。

それでも庶民がある程度気軽に旅に出られたのは、それが観光目的であるのは、江戸末からということでしょうか。

 

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そんなわけで、まず展示は歌川広重の「名所江戸百景」から始まります。

しかし、深川萬年橋の亀、すごいですね〜

どの版画も構図が斬新で今見ても面白い。

実際の景色より映えてる。

このページにはないけど亀戸梅屋舗の梅の絵は、ゴッホが模写したものではないでしょうか。

 

明治になると、文明開花で洋館、和洋折衷の建物が立ち並ぶ「東京」の様子を極端な遠近法で描いた「開化絵」が出回ります。

日本橋の賑わいなど、興味は惹かれるけど、絵としてはそんなに面白く感じなかった。

 

また写真技術が入り、外国人向けの日本の観光地写真が撮られるようになります。

横浜写真」というものだそうで、モノクロの写真に彩色を施したもの。

その写真と名所の版画や絵画はほとんど同じ構図であるというのも、ばえて見える典型的なポイントが意識されていたようです。

 

油絵も描かれるようになり、富士山や多くの風光明媚な風景画、高橋由一などの作品が展示されています。

五百城文哉の「小金井の桜」という作品もあり、江戸中期の元文2年(1737)に小金井橋を中心とする玉川上水の両岸に山桜の並木が植えられ、「小金井の桜」は江戸郊外の景勝地として知られるようになり、浮世絵版画などでも描き伝えられていったそうです。

 

わたしには馴染み深い玉川上水の桜が、そんな昔から名所になっていたなんて知らなかった…

 

しかし、当時は新進の油彩風景画だったかもしれないけど、大変失礼ながら、その画題の有名さもあって、お父さんの日曜画家がすごく上手になったような絵に見えて、あまり面白くは感じませんでした。

 

この展示会で面白いと思ったのは、小林清親の「光線画」と言われる版画です。

明治10年代に手がけた江戸名所の版画の数々は、西洋画の影響も受けた描写力と、繊細な描写と、彫師、摺師の力量もあるのだろう、落ち着いた美しい色調など、とても印象深いものでした。

今まで知らなかった…

知っていることより知らないことの方が、何百何千何万倍もあることを知るオババ…

 

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上は御茶ノ水蛍、下は天王寺下衣川。

どちらも蛍の光が美しい。

ものすごくよく写生する人だったようです。

 

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上の版画は「新橋ステンション

ガスミュージアム所蔵ですってよ、東京サポの皆さん。

ガス灯に照らされて人々が行き交う近代都市の夜の姿を、実写的かつ抒情的に描き出した、と説明にあります。

往時を知らないものは、抒情性の方を強く感じます。

上手な人がいるもんですなあ…

 

大正から昭和にかけて、川瀬巴水が「新版画」というものを制作しました。

この人も正確な写生を元に、「東京十二題」などの名所版画を描きました。

 

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説明にあるように「小金井の夜桜」。

昭和10年の作品です。

 

昭和になると庶民の旅行も盛んになってきて、京都などの観光地のポスターや、各鉄道会社の旅行案内や、新聞の付録の鉄道路線図など、観光グラフィックが出るようになります。

これが、面白い。

 

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地図、路線図が面白くて、つい図録を買ってしまった。

これは図録の表紙。

吉田初三郎「神奈川県鳥瞰図昭和7年

図録を伏せて開くと、神奈川県が一望できます。

等々力競技場はまだないけどね、日産スタジアムもまだないけどね←

 

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これが全図。

この時代のお約束だったのか、九州の先には台湾まで表示され、北海道の上も樺太が表示されていて、神奈川県鳥瞰図なのに大したスケールです。

まあフロンタくんがACL行くから、この後必要になるってことかな←だあら〜

 

 

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これも吉田初三郎画。

昭和2年小田急電鉄開通記念の路線鳥瞰図。

富士山はもちろん、小田原、箱根などの観光地が大きく表示されています。

 

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よく見えないけど、樺太の文字が。

 

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これは小田急電鉄の鳥瞰図。

ここにも、門司の先に、釜山、上海、台湾が描かれている。

必要なのかね〜小田急の路線図に。

当時の海外進出欲が背景にあるのかしらね?

大阪毎日新聞社が発行した「日本鳥瞰近畿東海大図会」(これも吉田初三郎画)には、なんとハワイ、サンフランシスコも描かれているそうだから、当時は海外に視野が広がってきた、またひどく未知の遠い場所ではなくなってきた、という国民の意識なのかもしれません。

 

この鳥瞰図ですっかりビックリ。

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美術館にはこの鳥瞰図を双六にしたものが置いてあったので、もらって帰りました(無料)。

 

この大迫力鳥瞰図などとともに、国定公園を描いたポスターも展示されていました。

画家としては、典型的、つまりはお定まり、決まりきった構図で名所を描くというのは抵抗があったようです。

が、依頼主の希望であれば、そう描かないわけにもいかず…というような言葉も添えてありました。

 

最後は、富士山ばかり描いていた和田英作富士山の絵、鄙びた民家を多く描いた向井順吉の観光地ではない田舎の風景画が展示されていました。

富士山の方はよくわからなかったけど、向井順吉の、ほとんど壊れたように見える民家と、今もよくあるけど昔はもっとあったろう(昭和40年〜60年の作)山野の景色は、美しいというよりなんだかインパクトのあるものでした。

山野だから当然緑色も多く使っているのに、「緑は苦手だ」と言ったそうなので、わたしとは気が合うと思います←違。

 

 

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荷札にスタンプを押して記念に持ち帰ることができます。

 

思ったよりずっと見応えがありました。

 

常設館もざっくり見て、東府中駅まで歩いて、結構疲れたけど、充実した時間を過ごせました。