J2備忘録④ 勝てなかった相手~2011年総括

ポポヴィッチ新監督のチームとして始動して沖縄キャンプも終わった今頃、昨季の総括も如何かと思いますが、ジェフサポ夫がせっせとヒトのブログに間借りしてなにやらシタタメているのに、わたしはこのままシーズンインもシャクなので、本当に一応自己満足でやっときます。
 
突然ですが、問題です。
2011年シーズン、FC東京がホームもアウェイも勝てなかったチームは、どこでしょう?
 
 
答え。
コンサドーレ札幌(A△H●)、栃木FC(A●H△)、(A△H△)、大分トリニータ(A△H●)、
 
一敗したチームは、
 
合計7敗です
 
何か共通点は見えるでしょうか?
コンサ、栃木などはいかにも東京が苦手なタイプかと思います。一勝もできなかった札幌を連れて昇格したことになり、また特にアウェイではやられそうな・・・すでにネガティブな予感がします。国立の大分戦鳥栖とドローの後、「早く楽になりたい」気持ちからか、攻め急いでカウンターにやられました。苦手なパターンだったと思います。
草津、北九州、富山は、監督にやられたとも言えるし、相手選手のモチベーションの高さと頑張りに負けたとも言えそうです。相手チームへ昨季のベストゲームを提供してしまったかもしれません。
ジェフに0-3は、コメント仕様がありません。夫はプライドにかけて?これをベストゲームにするつもりはないようです(ジェフはホーム札幌戦がベストだと、わたしも思う)。
 
 
昇格した鳥栖に対してはどうかというと、まず開幕戦で当たり、面白くもない試合で辛勝し、アウェイはそろそろ昇格も見えてきた10月23日、きっちり勝っておきたかったところをスコアレスドローで終わりました。鳥栖は東京に対してそれほど強いというイメージは持たなかったのではないかと思います。
 
今更言うまでもありませんが、東京は7試合終わって12位、ようやく昇格圏の3位になったのが12試合目でした。1、2位に落ち着いたのはほぼシーズン半ばでした。
わたしはシーズン当初から楽勝だのぶっちぎりで優勝だのと思ったことはありません。ネガティブ思考だから・・・ということもありますが、ジェフでJ2の試合はたくさん見ていましたので、そう簡単ではないと思い知らされていました。
 
せっかくの天皇杯優勝監督をくさすのも悪いのですが、大熊さんは一昨季16位で引き継いで、ほとんどめざましい効果もなく16位で終わらせた監督です。
ネルシーニョ監督ポポヴィッチ監督も引き継いだチームを残留させることはできなかったのですが、それでも非常に期待を持たせる内容で連勝しました。
大熊さんは実際のところ、自身ではどんなサッカーを目指していたのかよくわかりません。
シーズン始めの彼のやり方は、ヒラヤマか高松をめがけてクロスを上げる、長いパスを入れる、相手ボールになったら「リトリート」するようなスタイルが見えました。これがJ2仕様と思っていたのか、ご自身が好きなスタイルなのかはわかりません。
勝てなくて選手も話し合ったとかで、パスをつなぐポゼッションサッカーにしたところでやっと結果も出てきました。
湘南に引き分けた後京都とのアウェイゲームへ。京都というチームは、ジェフには非常な不運をもたらしたのですが、東京には幸運な巡り合わせになりました。
天皇杯では成長した京都と対戦しましたが、5月時点での京都は目指すサッカーは同じ、若くて元気の良いことはかわらないにしても未熟なところの多いチームでした。引いて守ることはせず、思い切りよく前に出てくるので、パスを繋ぐこともかわすことも一日の長がある東京は4-1で勝ちました。
これでもすぐに波に乗りきることはできませんでしたが、力の差のある相手が続いたこともあり、7月30日北九州戦まで負けなしでした。
栃木、富山に連敗して、また栃木戦で引き分け、その後またもや京都とホームで。
これも6-1と粉砕するのですが、なんとクリーンシートが28試合(テキトーに数えたから違うかも)もあるシーズンで、京都にはアウェイでもホームでも1点ずつ献上しています。京都が失点を恐れず(悪く言えば無鉄砲?)、得点することにより大きな価値観を持っていることがわかるような気がします。
不調になると、京都に当たることで立ち直らせてもらいました。
そして天皇杯で決勝を戦うことになったのですから、なんだか奇遇ですな~
一昨季は京都に負けたおかげで降格したし(いいえ、自分に負けた♪のですが)←古。誰もわかるまい。
 
 
大熊さんは「サッカーの本質」ということをよく口にしていました。
それはいうまでもなく大事なことですが、さかのぼって考えると、一昨季の東京の選手はそれもできないほど(走る、球際で踏ん張る)自信を失い、疲弊していたのでしょう。
意外とわかりきったと思われることは、忘れられたりおろそかにされたりするものです。
湘南戦の中村北斗のような頑張りが大熊監督の成果だとしたら、それは評価しなければいけないでしょう。
谷澤がジェフにいたときよりよく働いたのも、大熊さんがコワイ監督だったおかげのようです。
しかし選手起用や交代には納得がいかないことが多くありました。
それにわたしが最後まで不満だったことは、前述のように監督自身のサッカーがわからなかったということです。
立派な理論や理想を掲げても、勝てなければ仕方ないとも言えるかもしれませんが、監督たるものまずは確固たる理念を持ってチーム作りをしてほしいものです。後は選手の顔ぶれと現実との折り合いをつけることも必要になるでしょう。1年目の城福さんはそのあたりがはっきりしていて、とても好きでした。JFKびきで言うようですが、結局城福さんの作った土台は一度は崩れたものの、それが生かされてJ2で勝てたのではないかと思っています
・・・・というと大熊さん気の毒ですね。
このまま終わるのではあまりにも大熊さんに悪いので・・・
 
天皇杯優勝は、大熊さんと今野選手の置き土産だと思っています。
ありがとう。クマさん、今野選手