広島旅行~原爆ドームと鈴木三重吉像

8月31日、第25節広島戦に遠征した翌日。
夜はレベスタでジェフ対福岡の試合があるため、午前中だけ広島観光に当てました。
若い頃は思い切り出不精で、旅行は京都か大阪くらいの決まった所しか行かなかったので、日本中行ったことのない場所ばかり。
広島も福山市まで。広島市は初めてだったので、まずやはり原爆ドームと記念館に行くことに。
 
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広島市の移動は路面電車が便利。
これは古いタイプの車両。
 
 
 
 
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原爆ドーム」詳しくは「ひろしまナビゲーター」で↓
 
ひろしまナビゲーター」からお借りした、被爆前の「広島県産業奨励館」。
こんなにモダンで見事な建物だったのですね。
 
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美しい水辺の景色ですが、原爆投下された時には、この川も多くの犠牲者で満ちたのでしょう。
 
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「原爆の子」像。
「これはぼくらの叫びです これは私たちの祈りです 世界に平和をきずくための」
と刻まれています。
原爆による白血病のためわずか12歳で亡くなった佐々木禎子さんがモデル。
 
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雨の日曜日。
老若男女、国籍を問わず、祈りを捧げる人が続いていました。
 
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中の資料と展示されたものについては、言葉にできません・・・
便宜上「展示されたもの」と表現しましたが、被爆する直前まで若い学生の体をおおっていた制服や、帽子、下着の数々・・・・その衣類の持ち主が若い年齢で、激しく苦しみながら亡くなったという記述が続きます。具体的に名前と年齢と被爆時にどこにいてそどうなったかが書かれているので、死者の息遣いが聞こえるようです。
九死に一生を得た人々にも時間をおいて、原爆症が襲いかかります。
「どうして・・・どうして・・・どうして・・・」という言葉が繰り返し胸に湧いてきて、耐え難い気持ちになりました。
 
このブログはサッカー中心のものなので、思想信条に触れることはあえて避けています。
 
それでも少しは感じたことを・・・
原爆ドームと平和記念資料館を見ながら、見たくないこと認めたくないこと考えたくないことを避けてはいけないと思いました。
それは自分の内なるものに関しても。
絶対に許してはいけないことと、寛容になるべきこと、その両方がなければ戦争はなくならない。
最近民族主義的な不寛容性が世界的風潮になっていることに、わたしのようないわゆる「戦後」の教育を受けたことのある者は、不安を覚えます。
 
若い人たち(むろんトシヨリも天寿を全うした方がいいけど)が、こうして無残に死んでいかないように平和が続くことを、そして現在地球上で起きている紛争が一日も早く終わるように願います。
 
 
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平和の鐘。
 
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河畔のカフェ。
 
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原爆ドームのそばにある児童作家鈴木三重吉の像と「赤い鳥」記念碑。
鈴木三重吉広島市出身なのですね、生家は現在のエディオン広島本店にあったそうです。
エディオンといえばサンフレッチェ広島のホームスタジアムの名前になっています。
彼は1935年に亡くなっているので、原爆の惨状をみることはありませんでした。
 
 
・・・電停に戻った頃には、すっかり胸がつかえて食欲もなくなっていました。
 
・・・・と、言っていたのですが、広島駅に戻ってからお好み焼きをぺろりと食べてしまいました。
図太い。
そうして人間は(ワタクシは)生きている。