津和野散歩~桜吹雪の津和野町歩き
お昼を食べて休んでから、津和野の町を散歩。
本町に並ぶ造り酒屋。
お酒まったく飲めないので、表から見るだけ・・・試飲などさせてくれるお店もあるようです。
下の写真は殿町通りの眺め。
(以上ワタクシ撮影)
(蘇我夫撮影)
本来なら、この水路に鯉が泳いでいて津和野と言えば思い浮かぶ光景なのですが、河川工事の影響で川の水が濁っていました。
鯉の米屋さんにも行ったけど、お宅の池も濁っていて、残念~
花菖蒲がだいぶ伸びてきています。これが咲く頃は水もきれいになっているでしょう。
多胡家老門。
残っているのは門だけですが、亀井氏21代にわたり家老職を務めた多胡家の屋敷門。
多胡さん、確か源氏巻由来の時にも活躍されたご家老でした。
殿町通りから津和野川沿いを歩きます。
川沿いの桜(蘇我夫撮影)。
鷺舞の像。(ワタクシ撮影、以下蘇我夫)
太鼓谷稲荷神社の鳥居。
伏見のおいなりさんほど迫力はないけど、なかなかすごいです。
午前中マリアさんにご挨拶して高低差のある道を歩いたので、ここは下から見るだけ。
こちらの鳥居は鷲原八幡宮。
山の上に見える津和野城跡。
リフトで行けるらしいけど、いつものようにうちは見上げるだけ・・・
島根のチームとの試合だったら城跡は攻略するけど、相手は長州ですから。
というか、もう登るのがイヤになっただけですが(←無計画)。
西周旧宅。
「philosophy」を音訳でなく翻訳語(和製漢語)として「希哲学」という言葉を創った[6]ほか、「藝術(芸術)」「理性」「科學(科学)」「技術」「心理学」「意識」「知識」「概念」「帰納」「演繹」「定義」「命題」「分解」など多くの哲学・科学関係の言葉は西の考案した訳語である。
上記のように漢字の熟語を多数作った一方ではかな漢字廃止論を唱え、明治7年(1874年)、『明六雑誌』創刊号に、『洋字ヲ以テ国語ヲ書スルノ論』を掲載した。
いまや置き換えの難しい言葉ばかり、心理学を他の言葉に訳し変えるのはもうムリでしょうし、技術とか意識とかなにげなく使っていることばも彼の創ったものでした。
それにしても、かな漢字廃止の方は実現しなくてよかったな~
日本語は発音が単純で同音異義のことばが多いのに、ローマ字表記になったら大変だと思うんですが、西周さんの論文を読んだわけではないので、よくわかりません。
ともかく、大変な偉人だと思います。
その親戚筋に森鴎外が。
川を挟んで森鴎外の旧宅と、記念館があります。
(以上蘇我夫撮影)
鴎外記念館の庭に植えられた「舞姫」という桜。
鴎外の旧宅から、また津和野駅に戻ります。
帰り道に蘇我夫が撮った山の上の稲荷神宮。
津和野には白いタンポポがたくさん咲いていました。
津和野駅に戻って、安野光雅美術館で津和野の絵はがきを購入し、桑原史成写真美術館で硬派の報道写真を見ました。桑原さんが1960年代から撮っていた韓国の写真、特に時の政権に反対するデモ行進の写真特集でした。
デモも弾圧も苛烈だった1960年代から、パク・クネ政権批判のデモ行進写真で終わっています。
最後に見ごたえのあるものがズッシリ。
安野光雅も桑原史成も津和野の出身だそうで、たいそう多彩な人材を輩出しているんですね~
駅の待合室で、源氏巻の切り落としを美味しく完食し、湯田温泉の宿へと帰りました。