こんな時は家で映画でも〜「ミスター・ロンリー」

こんな時は史上、最高怪作、出ました〜

ミスター・ロンリー

ハーモニー・コリン監督、2007年制作。

 

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この写真から、もうヘンでしょ?

 

面倒いから、映画.comの解説をお借りします。

 

ガンモ」のハーモニー・コリン監督が8年ぶりにメガホンを取ったラブストーリー。主演に「天国の口、終りの楽園。」のディエゴ・ルナ、共演に「ギター弾きの恋」のサマンサ・モートンを迎え、他人を演じることでしか生きられない男女の恋と自分探しの旅を描く。マイケル・ジャクソンになりきって暮らしてきた男が、ある日マリリン・モンローとして生きる女に出会う。彼は彼女に導かれてモノマネ芸人たちが集団生活を送るスコットランドを訪れ……。

 

う〜ん、ラブストーリーとはちょっと違うと思うなあ。

まあ、所謂自分探しの旅、ではあるんでしょう。

ストーリーとしては、だいたい予想通りに展開します。

 

このハーモニー・コリンなる監督、なかなかに曲者です。

映画としては、かなり好みの分かれるものでしょう。

夫は結構気になる監督と思ったようで、この人の作品がもう一つAmazonプライム・ビデオにあるので、見たいらしい。

わたしは…何だかザワザワ感の残る映画で、好きとは言いにくいけど、嫌いでもない。

イヤに後味の残る作品です。

 

映画.comの解説にあるように、マイケル・ジャクソンになり切って、パリの大道芸で小金を稼いでいた「マイケル」が、そのパリの街で、マリリン・モンローになり切りの「マリリン」に出会い、誘われて彼女の夫が持つスコットランドの古城に行くと、そこには、彼女の夫「チャップリン」をはじめ、「ジェームズ・ディーン」「マドンナ」「リンカーン」「教皇(当時の多分ヨハネ・パウロ)」「エリザベス女王」、マリリンとチャップリンの子「シャーリー・テンプル」、なんか忘れたけど子役、「赤ずきんちゃん」に何とか兄弟の何とか、と、実に雑多なモノマネ芸人が共同生活をしていて、やがて小さな劇場でモノマネステージを大公開するべく鍛錬を重ねている。

モノマネ好きの桃源郷のようなところ…のようだけど、その実、矛盾、葛藤を抱えていて、うまくいかないことばかりに見える。

 

で、モノマネ芸人がいっぱい出るコメディだと思ったら大間違い。

むしろ、悲劇的な色が濃い。

 

そもそもこのモノマネ芸人、マイケルもマリリンも、みんな似ていない。マイケルはパリで大道芸をしていたけど、あのくらいのマイケル似なら、日本にもいくらでもいそうだし、マリリンも写真見ても分かる通り、似てません。

この映画では、おそらく似てる似てないはあまり問題ではない。

誰かになり切っている、ということがその人その人にとって意味を持つものだということでしょう。

「インパーソネーター」という呼び方には、「モノマネ芸人」とは違う深刻さを感じます。

作品からは、ある種グロテスクな印象も受けますが、ちょっとインパクトが足りず、もっとそこはやってもよかったかな、と思います。でも、そうなるとわたしの許容範囲を超えるかも。

 

この作品の不思議さは、モノマネ芸人のストーリーとは全く別に、重なることなく、進められるエピソードがあること。

それは、ニカラグアだったかの(忘れた)寒村で、子どもを教育したり物資をジャングルの村に投下したりと人道援助を行なっている尼僧たちと神父との、奇跡のストーリーです。

ヘリコプターから、ゆっくりと青い空の中を舞うように落ちていくシスターたちの姿は、この作品の中では美しいシーンでしょう。

この尼僧に起きた奇跡は、最後に彼女たちの命を奪うことになり、わたしのような視聴者が予想した通り、悲劇的な終焉を迎えるように見えます。

しかし、シスターたちの心のうちに入れば、喜びのうちに天国へ旅立ったように思います。それでも監督の意地悪さは、シスターたちの無残な姿をじっくり映すところで、このエピソードは辛いというか、いわば辛辣な終わり方をしてしまいます。

 

コリン(というと「ちゃん」をつけたくなる)監督が、なぜこのエピソードを入れたのか、それもスコットランドのインパーソネーターたちの話と並行するような長さで入れたのか。

いろいろに解釈できると思います。

シスターたちの死と並行して、マリリンの自死があるのは、当然作者がそれを意図したからでしょう。

マリリンの死の後、マイケルは「マイケルではない自分」として生きるべくパリで歩き始めます。

それもストーリーとしては予想通りなので、特に変わったお話ではないと言えなくもないのに、かなり変わった映画だという印象が残ります。

チャップリンが暴君でマリリンは幸福ではないことも描かれていて、この部分と、マリリンとマイケルの淡い恋と、坊やのアイドルのヘンな独り言とか、そういうところに彼らの「彼ら自身」の部分が表現され、彼らの生きにくさが見えるようです。

そういうところなのかな、そしてとっても素直に生きていたシスターたちとを並行して描きたかったのかな。

 

などと、つい考えてしまうので、映画研究会の批評会などに向いた映画かもしれません。

 

ちなみに、登場する俳優も曲者が多く、パリでマイケルの世話をやく友人がレオス・カラックス、シスターたちのリーダー的なやり手っぽい神父にヴェルナー・ヘルツォーク

久しぶりに彼らの姿を見ましたよ、と言っても13年前の姿だけど。

 

追記…mathichenさんのご指摘の通り、この映画には「エリザベス女王」として、アニタ・パレンバーグが出演しています。あんまりおばあさんだったので、「あの」アニタ・パレンバーグとは結びつかず、つい見過ごしてしまって、汗顔の至り。アニタは、この作品の10年後に亡くなっていました。これが、わたしの知る限りでは、最後の作品となるようです。

ちなみに、もう一人のスローンズの彼女、マリアンヌ・フェイスフルは、今月初めに新型コロナウィルスの感染症で、ロンドン市内の病院に入院したようです。無事だといいのですが、かなりの高齢ですから、どうなのでしょうか?