こんな時は家で映画でも〜「友だちのうちはどこ?」
たまには安心して見ていられる映画を見よう、ということになり、
友だちのうちはどこ?
アッバス・キアロスタミ監督
1987年の制作
映画.comの解説によると、
友だちのノートを間違って家に持ち帰ってしまった少年が、ノートを返すため友だちの家を探し歩く姿を描いた、子供についての映画。脚本、編集、監督はアッバス・キアロスタミ。一九八七年のテヘラン映画祭で最優秀監督賞などを授賞し、彼の名はイラン国内で不動のものとなり、八九年のロカルノ国際映画祭で五つの賞を総なめにし、イラン映画の水準の高さを世界に示した。撮影はファルハッド・サバ。素人しか起用しないことで知られるキアロスタミは、この作品でもカスピ海に近い小さな村の子供たちを使っている。主人公の少年にはババク・アハマッドプール、隣の席の少年には、その弟のアハマッド・アハマッドプールが扮している。キネマ旬報ベストテン第八位。
小津安二郎の大ファンだというキアロスタミですが、この少年と家族と村人しか出てこない作品にも、その影響を見ることができると思います。
1979年のイラン革命で多くの作家が国外に出ましたが、彼は政府当局から妨害を受けながらも、素人、子どもを使ってこの作品を完成したそうです。
素人と言っても、この子どもたちの自然な振る舞いには、演技というより、彼らの日常がそのまま出ているように見えます。
この主人公の少年が可愛い。
学校で、アハマッドの隣の席の子が、宿題をノートに書いてこなかったこと、それが3度目だったことで、先生にひどく叱られる。
先生は、今度ノートに宿題を書かなかったら退学だぞ、と脅す。友だちが叱られているのを、心配そうに見るアハマッド、いい子です。
アハマッドがうちに帰ると、母親はまず宿題をしなさいと、日本の母親と同じように言う。
カバンを開けたら、なんと間違えて、その隣の席の子のノートも持ち帰ってしまった。
子どものやりそうなミスですが、隣の子はノートに書いてこなかったことを叱られたばかりですから、アハマッドは、これは大変と、ひどく慌てます。
何とか友だちにノートを返さなきゃ、と。しかし、母親は忙しく洗濯物を干しながら、時々赤ちゃんの世話をアハマッドに言いつけたりしながら「宿題が先」の一点張りで、聞いてくれない。
それでもスキを見て、遠くの村の友だちの家を探します。
距離は正確にはわからないけど、学校で友だちと同じ村の子に先生が、そんな遠くから、というシーンがあるので、大人でも遠いところのようですが、ノートを返したい一心のアハマッドは、その距離を走り続け、行き違いもあって2往復走ることになります。
ふむう。
走力でイランの勝ちだな、と余計なことを思う(←わかりにくい)。
子どもは大人から、ほとんどちやほやされず、アハマッドの祖父に至っては、子どもなんか規則を学ばせるために、4日に1回は叩くのだ、とオジジ友だちに豪語するくらい。
イランの社会では、子どもは訓練されるべき未熟な人間という存在のようです。
アハマッドは村から村を走り回り、すっかり暗くなってしまうのですが、結局ノートを渡すことができません。
すっかり打ちひしがれて帰ってくるのですが、そこで彼の両親も、4日に一度は殴る、と言っていたおじいさん(多分実行していない)も、彼に何も言わず、何も聞かない。
ここが日本の家族とは随分違うように感じます。
うちなら、遅くなったことで心配させられたと叱るでしょう。
愛情の表し方の違いでしょう。
キアロスタミの子どもへの視線が温かく、村や教室の描写も確かなものです。
キアロスタミは2016年にパリで亡くなったそうです。