家で映画でも〜「偉大なるマルグリット」
土曜日にはJ1が再開されてしまうのですよ…
ああ嫌だ嫌だ、また心配とため息と、動悸と、無駄な興奮の日が来る…
え?
嫌なら見なきゃいい?
全くその通り。
しかしサポですから。見てしまうのです。
わたしは超ネガティブサポなので、もう心配で仕方ないけど、サポだから、見ないわけにはいかないのさ、そうジャンキーですわ。
家でも映画を見る時間がなくなってきた。
レビューを書いてない作品ストックも後これを入れて4本です。
「偉大なるマルグリット」
グザビエ・ジャノリ監督
2015年フランスの制作
WOWWOWの番組内容を見たら「自分が音痴だと気がつかない歌の大好きな伯爵夫人が、リサイタルを開くと言い出し…」などと書かれていたので、これは気楽にウヒャヒャと見られる映画だろうと思ったら…
さにあらず。
相当に痛い思いをさせられる映画でした。
いつものように、ネタバレなど気にして書いてないから、この映画を見ようと思っている人は最後までお読みになりませんように。
音痴にも関わらず多くの人々から愛された伝説のソプラノ歌手フローレンス・フォスター・ジェンキンスをモデルに、音痴の歌姫マルグリットの数奇な運命を、「大統領の料理人」のカトリーヌ・フロ主演で描いた人間ドラマ。1920年、フランス。新聞記者のボーモン(シルヴァン・デュエード)は、パリ郊外にある貴族の邸宅で開かれたサロン音楽会に参加する。しかし主役であるマルグリット夫人は、救いようのない音痴だった。しかも周囲の貴族たちは礼儀から彼女に拍手喝采を送り、本人だけが事実に気づいていない。野心家のボーモンはマルグリットに近づくために翌日の新聞で彼女を絶賛し、パリの音楽会に出演者として招待する。音楽を心から愛するマルグリットは、本当のことを言い出せずにいる夫ジョルジュ(アンドレ・マルコン)の制止も聞かず、有名歌手(ミシェル・フォー)からレッスンを受けはじめるが……。共演に「不機嫌なママにメルシィ!」のアンドレ・マルコン、「ルノワール 陽だまりの裸婦」のクリスタ・テレ。「情痴 アヴァンチュール」のグザビエ・ジャノリが監督・脚本を手がけた。
(毎度映画.comより)
フローレンス・フォスター・ジェンキンス 1868年7月19日-1944年11月26日。米ソプラノ歌手。誰が聴いても音痴なのに、誰からも愛されたという、まさに“耳”を疑うソプラノ歌手。最初はあっけにとられた人々も、いつのまにか自由で大らかな歌声に魅入られてしまったという。1944年には76歳でカーネギー・ホールの舞台に立った。
映像、衣装、セットどれも美しい作品です。
ただ、彼女の声だけが…
伯爵夫人マルグリットは、慈善事業として邸宅でサロン音楽会を開いている。貴族たち、新聞記者などが招待され、ゲストというよりマルグリットの前座として新人歌手のアゼルたちが「花の二重唱」を披露します。
最後にマルグリットが、庭で飼っている孔雀の羽を引っこ抜いて頭に飾って登場、歌うはモーツアルト「魔笛」の「夜の女王」のアリア!
あーた、音痴が一番歌っちゃいけない歌じゃないですか…
もう彼女の歌がひどいと知っている貴族たちは心の準備済み、使用人たちは耳栓済み、初めて聞く人たちは呆気にとられ…
しかし貴族たちや慈善家たちは大事なパトロンの機嫌を損ねないように、お世辞を言うし、招待客も高貴な身分の夫人に本当のことは言えません。
マルグリットの夫伯爵は、妻の下手くそな歌を聴きたくないようで、どこか(愛人の家だったりする)へ車で出かけては、帰り道に車が故障することになっています。いつも同じ場所なのが笑える。
誰もがひでえ〜と思うのですが、新聞記者のボーモンだけは翌日の新聞で彼女を絶賛します。
執事(デニス・ムプンガ、写真でピアノを弾いている)は…この男が、実はストーリーが進むにつれ、存在感を増していくのですが、初めは夫人の歌を酷評している新聞を買って隠し、ボーモンの記事だけ夫人に見せるような、忠実な執事というイメージです。
野心家であり、アナーキーな思想の男であり、ダダイストであるボーモンは、夫人を利用し、パリの街で行ったダダイストのパーティーに三色旗を纏った夫人に「マルセイエーズ」を歌わせます。
マルグリットは何がなんでも自宅以外で、少ないけど観客の前で歌えることに大喜び、たいそう気合を込めて、マルセイエーズを歌いますが、無論その音痴さがダダっぽいとボーモンは考えたのでしょう。馬鹿騒ぎになり、マルグリットも警察に引っ張られますが、彼女は懲りるどころか、このイベントが返って彼女の意欲に火をつけたようです。
このパリでダダイズムが流行ったり、共産主義のような新しい思想に影響された時代の雰囲気もよく描かれた作品です。
マルグリットは自分の世界に生きているのですが。
作品中にはマリオ・デル・モナコが「道化師」のアリアを歌うシーンもあり、この作品が音痴の貴婦人の勘違いを嘲笑するものではなく、音楽とくにオペラへの愛をも描かれたものであることがわかります。
マルグリットはリサイタルを開く、と宣言。
夫の公爵は苛立ち「(あんな音痴なのに)なぜ歌うんだ?」と、本人ではなく愛人に聞くともなくこぼすと、愛人は「あなたに愛して欲しいからよ」と言う。
全くその通り。というか、その部分も大きい。
でも、歌が大好きだ、というのも真実です。
マルグリットは、若くはないにしても、きれいで純心で愛らしい女性だと思うのですが、夫にはそうではないようで…
しかし、執事の撮るマルグリットがオペラの衣装を着たポートレートは、女らしい魅力が溢れています。執事マルデボスには彼女がそう見える、ミューズであり、セックスシンボルでもあるのかもしれない。オペラの世界では、彼女はそうなれる。ということでもある。
リサイタルを開くにあたって、執事マルデボスは、かなり脅しをかけてヴォイストレーナーにスキャンダルを隠し持つ歌手を連れてきます。
その歌手の連れてきた取り巻きみたいのがまた奇妙な連中で…
この辺りから執事マルデボスがまるでボス、とオヤジギャグを言いたくなるような活躍。
自分の感情はほとんど口にしない無表情な男ですが、マルグリットへの感情は愛というのか、ある種のコレクターのようで、ちょっと怖い…
リサイタルの近づいた日、マルグリットは夫の浮気をはっきり目撃します。
その打ちひしがれようもかわいそう…
そして、夫に「あなたが歌をやめろというならやめて、二人で何処かへ行きましょう」とすがる。夫は妻がかわいそうには思えるようですが、「君の大事な日だろう」とやめさせない。やめさせたらよかったかもしれないのに…
でも、マルグリットは本当に歌が好きなのは、確かなので…
まさに血の滲むような努力の末、その日を迎える。
その衣装は、
天使のような羽をつけて歌うは、ベッリー二「ノルマ」より「清らかな女神よ」。
当然のように努力も虚しく、初めから音程がずれていて、会場はざわつきます。
しかし、嫌々ながらでも遅れてきた夫が着席した瞬間、ほんの短い間だけ音程が合う!
おお!
と思った次の瞬間、マルグリットは血を吐いて倒れます。
彼女は入院…
そして、彼女は本当に自分の世界にだけ生きるようになってしまう。
さらにかわいそうなことが…
治療のため、当時発明されていたレコーディング技術で、彼女の歌をレコーディングして、本人に聞かせることになります。
マルグリットはすっかり大歌手気分でレコーディングします。
その自分の声を聞かされる日…
伯爵は電話でそれを辞めさせようとするのですが、電話を受けた執事マルデボスが伯爵の命令を握り潰す…
まさにマルグリットが自らの声を聞いた瞬間、伯爵が到着し、マルグリットは伯爵の腕の中に倒れ込みます。
執事マルデボスは、夫の腕に抱かれて倒れているマルグリットの儚げな表情を捉えて、彼の写真コレクションの最後の作品として加えます。
これでおしまい。
可哀想。
でも、夫が少なくとも妻を不憫と思ったことが救いか。
終わった瞬間は、あんまりじゃないの、かわいそうでしょ!
と思ったのですが、彼女の歌が好き、という純粋なひたむきさがこの作品を、音程は外れても、品性は高くさせていると、感じます。
主演のカトリーヌ・フロが素晴らしい。
実際はこんなに音痴ではないらしく、作品の歌声は加工されたもののようです。
執事マルデボス、夫ほか登場人物もそれぞれに印象深く描かれています。
やっぱりタダモノではない、ということで、またフランス映画を録画していますが、見る暇があるのでしょうか…