コレラの時代の愛

51年と4ヶ月、女を愛し待ち続けたという男の長大な小説、ガルシア・マルケスの1985年の作品。
いつものマルケスとは文体などがちょっと違う(らしい)けど、面白く読みました。
実は去年読み終わったのですが、感想を書いてなかったので、今頃思い出しながら・・・
手元に本がないので、多少記憶違いがあるかもしてません。
登場人物はいつものように、私の勝手にイメージする南米大陸的に変わった人たちばかり・・・
マルケスの初期、記者時代の報道文を集めたものを読んでも、やっぱり変わった人たちが、
少なくとも私の日常からは考えられない不思議な事件を起こしたり、
巻き込まれたりしているので、彼の小説の原型を見ることができます。
この小説、前半でヒロインは無茶な旅をするし、
コロンビア川を悠々と上り下りしつつ物語は終わっていって、
舞台は広いようだけれど、
実のところ愛し続けた男、愛された女、その夫、愛し続けた男にまつわる幾人もの女達、
それらが織り成す狭い世界で展開されていると思います。
こじつけと笑われるかもしれませんが、私が読みながら連想していたのは、
源氏物語」です。
主人公フロレンティーノ・アリーサの執着心は日本人とはずいぶん違うと
思う人が多いのかもしれませんし、
フロレンティーノ・アリーサと光源氏は、似ても似つかないけど、
少年の頃憧れた女性を生涯忘れられないで、
次々に身勝手ともいえる女性遍歴を重ねるところはよく似ています。
特に終盤、アメリカーナという少女を愛人にした挙句、
51年待ったフェルミーナ・ダーサの夫が死ぬや否や、少女を捨ててしまう
残酷なところ、光源氏女三宮との関係に重なって見えます。
アメリカーナは女三宮よりはるかに快活で、魅力的な少女ですが・・・
しかも少女を失って後、愛していた、とかいう執着心、
そのうじうじしたところも源氏のようです。
しまいには何もかもうっちゃって、老いた恋人同士は
永遠に曳航する船に乗って、川を流れます。
そのフェイド・アウトのさまも「雲隠れ」と呼びたいところです。
このフロレンティーナ・アリーサもフェルミーナ・ダーサも共感する
というより、その流れる血の濃さというか、自我と自分の感情への執着というか、
なんだか呆然とさせられました。
コレラの時代」というのは、滅びに向かっている時代、ということでしょうか?
時代背景としてのコロンビアやその周辺についても書かれていましたが、
それは他の小説「族長の秋」などの方がよく描けているようです。
ただ、病の気配をその気温や生ぬるい風まで感じさせる筆致は、さすがです。
考えてみると、脇役になかなか面白い女性がいるところも、
フェルミーナの夫が、比較的現実的なやり手という頭の中将タイプだったり、
似ててどうなの?と言われればそれまでですが、
似ても似つかない時代と環境なのに、
人間は変わらないのでしょうか?