長崎旅行6. 「二十六聖人の道を歩く」でさるいてから、諫早へ。
5月26日。長崎旅行やっと二日目。
この日は13時キックオフで試合があります。
午前中どこか行こうか、となると、12時前にはスタジアムに着いていたいので、あまり時間がない。
二十六聖人殉教記念碑がホテルから近いので、そこへ行くことに。
「長崎さるく」のマップでは浦上街道を山王神社からさるいて、終点が二十六聖人殉教地になっていますが、時間の都合により二十六聖人殉教地のある西坂公園だけにしました。
「長崎さるく」「二十六聖人の道を歩く」↓
1597年、豊臣秀吉の命によって捕えられた外国人宣教師6人を含む26人が処刑されるという日本初の殉教が長崎でありました。彼らは、京都・大坂などの町を引き回され、十字架にかけられたのです。終焉の地となった西坂の丘へ、26人が最後にたどった道を歩いて、殉教者たちの強い思いを感じてみませんか。
と言うコースの終点です。
現在の西坂公園がキリシタンの処刑された西坂の丘。
二十六人は、処刑から265年後の文久2年(1862)に列聖されました。
二十六聖人殉教記念碑と聖フィリッポ教会の尖塔。
この記念碑は列聖100年を記念して昭和37年に建てられたそうです。彫刻家船越保武氏作。
記念碑には
人若し我に従はんと欲せば 己を捨て
十字架をとりて我に従ふべし マルコ第八章
十字架をとりて我に従ふべし マルコ第八章
という聖書のことばが刻まれています。
昇天の様子を現しているので足が垂れ下がっています。
聖フィリッポ教会と日本二十六聖人記念館。
この教会は記念館と同時に建てられ、設計者の今井兼次氏はアントニオ・ガウディを日本に紹介した人として知られているそうです。
確かに、尖塔がガウディっぽい。
教会の壁と塔にはめ込まれているのは、京都から長崎まで歩いた道沿いで作られた焼き物で、殉教者の歩いた道のりを表しています。
聖堂の前には神父様が立って、御ミサに与りに集まる信徒たちを迎えていました。
静かな日曜日の朝、お邪魔するのは遠慮しました。
そしていきなり戦闘モードに。
諫早駅に降りたら、この暑さの中、日焼け止めクリームを忘れたことに気がつく。
ホテルでちゃんと持って行くようにポーチに入れたのに、ポーチごと忘れた~
二十六聖人の御像に会い、厳粛な心持ちになったのもつかの間、激しく不機嫌に。
コンビニも見当たらず・・・しばし、夫は困惑。
西友で日焼け止めと下地クリームの無駄遣いをして、一安心して、歩き出しました。
諫早駅からスタジアムへ向かう道にあるV.ファーレン長崎のフラッグ。
どこかから移設して公園の池にかかっています。
このあたりは珍しい植生が見られるそうです。
諫早城跡にある確か樟の大木。
立派な大木が多く見られました。
上って行く途中にあった伊東静雄の詩碑。
手にふるる野花は
それを摘み
花とみづからを
ささへつつ
あゆみをはこべ
それを摘み
花とみづからを
ささへつつ
あゆみをはこべ
蛍の生息する川。
という美しい公園を散策した後は、ひたすらスタジアムまで歩きます。
試合については、蘇我夫のレポの通り。
せっかく九州黄色犬ゴマさんにお会いしたのに、駅前のミスドでささやかすぎる残念会になっちゃった・・・
ゴマさんは「トルコライス」を食べる!という残された目的を達成すべく、わたしたちとは駅でお別れ。
ここからの夜景は「世界新三大夜景」になっているそうなのだけど、他の二つはしらない・・・
午後5時頃だったと思いますが、日没を待つ人が結構いました。
勝ったらホテルの日本料理屋で豪華なコースを食べる予定でしたが、負けたので、駅の近辺にあった店に適当に入る。